gifu technical high schoolmate岐阜工業高校同窓会

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名   所

4 八幡神社懸仏・時鐘   八幡町 八幡神社


 懸仏は、丸い銅板などの上に神像や仏像を表したもので、神社や寺院のご神体・ご本尊をまつる内陣に懸けられていました。
 八幡神社には、釈迦如来像を表した金属製の懸仏三面が伝えられています。どの懸仏も保存状態がよく、裏に土岐氏が奉納した様子が墨書きされています。
 これによって、八幡神社と美濃国守護土岐氏との間に深い関係のあったことが推測されます。




この鐘は、高さ51センチ、口径34センチ、重さ13.5キログラムあり、鋳きあがりや音色ともに非常によく、保存状態もよいものです。また、鐘の平面には薬師如来の守り神十二神将のうち迷企羅大将と波夷羅大将との二体が彫刻されており、その彫刻の形状から見て原形は奈良、興福寺の木彫像のものとされています。
 第3代加納城主奥平忠隆が寛永7年(1630年)羽栗郡笠町の八幡神社を祝って奉納したことが記されています。



09年4月紹介



5 産霊神社御神刀   西宮町 産霊神社(中央公民館保管)


 わきざし一振りが奉納されています。
 
 長さは44センチあります。、
 
 「相州住正宗」の銘があります。





09年3月紹介



6 桐白稲荷神社のわきざし    笠松町二見町 


 この脇差は、長さが45.7センチあります。「平泉住人寶壽」と刻まれており、室町時代の刀工寶壽の作といわれています。

 姿、形、鍛えなど、とても素晴らしいものとなっています。寶壽の名が付いた刀工は平安時代から江戸時代にかけて11人いて、この作者は、奥州の平泉に住んでいたと考えられます。

 いずれにしても寶壽の銘が入った刀は、岐阜県ではめずらしく、貴重なものです。

09年2月紹介



7 笠 松 隕 石    笠松町新町 箕浦氏宅
 

 昭和13年(1938年)3月31日午後3時頃、屋根を突き抜けて、握り拳くらいの隕石が箕浦さんの家に落ちてきました。重さは721グラム。長さ10.8センチ、幅は6.5センチ。高さ6.2センチ、比重は3.57となっています。
 表面は黒くなっていて、小さな粒が含まれている石のようです。

 1988年(昭和63年)6月29日に笠松町指定文化財(天然記念物)に指定される。 調査の結果0.4~1.2mmの球粒を持つ古銅輝石カンラン石球粒隕石で約50億年前のものと判明した。

09年1月紹介



8 東 別 院    笠松町西宮町42
 

 本願寺笠松別院(ほんがんじかさまつべついん)は、岐阜県笠松町にある浄土真宗本願寺派の寺院(別院)である。 笠松町には真宗大谷派の笠松別院もあるため、通称「笠松西別院」「笠松別院」という。

 1839年(天保10年)本山20代達如上人により、東本願寺掛所として建立される。
 1876年(明治9年)、東本願寺笠松別院(東別院)に改称する。

 境内には、1878年(明治11年)に明治天皇が岐阜を巡幸されたさいに建てられた「御小憩御殿」が移築されたが、1891年(明治24年)の濃尾地震で他の建物とともに倒壊する。

 本堂などは順次再建された。「御小憩御殿」は破損が比較的少なかったこともあり、ほとんどの資材を再利用してそのまま再建され、庫裏の一部となっている。

08年12月紹介



 9  川 灯 台      笠松町港町地内
 

笠松は木曽川沿岸最大の川港として、鉄道や自動車が登場するまでは、交通運輸の重要な拠点でありました。

 江戸時代笠松と桑名を結ぶ10里の水運は産業発展のために大いに役立ちました。

 その後明治になっても水運は衰えることなく明治18年には約13,800艘もの船が笠松港に機能した記録が残っています。

 その面影を残す笠松港公園に、江戸情緒を伝える川灯台が建てられ、面影を残しています。

08年10月紹介



 10 鮎鮓街道跡  笠松町下新町(笠松道・名古屋街道とも言う)

 

 長良川鵜飼の鮎鮓を、慶長8年(1603年)、将軍徳川家康、秀忠に献上以来、毎年5月から8月までの間毎月1回(後年は月6回)江戸城へ届けました。
 お鮓元から加納問屋を経て、笠松問屋(高島久右衛門氏)で受け継ぎ、一宮問屋へ送られました。笠松からは、主に笠松の農民が1回15人で運ぶ仕事をしていました。夏の暑い時季に腐り易い生の鮎鮓を送るのですから、その労力は大変なものでした。

 笠松問屋跡には、「鮎鮓の桶かつぎ受けわたし人びとは江戸への道をひたに走りき」と刻まれた碑が建っています。

 岐阜から名古屋に至る近道は、笠松を経由して、木曽川を渡るルートで「笠松道」または「名古屋道」と呼ばれていましたが、将軍献上の鮎鮓を頻繁に運ぶようになってからは、「鮎鮓街道」とも呼ばれるようになりました。

08年8月紹介



 12 魂生大明神 笠松町八幡町奈良堤上


 創建時期は江戸時代中期と言われている。
 元々はある美濃郡代が娘の縁談がないのを心配して、金精神の信仰がある陸奥国から男根の形をした石を取り寄せたという。この石は笠松陣屋の傍らに祠を設けて祀ったという。

 1868年明治元年、美濃国の旧幕領、旗本領に笠松県が置かれ、県庁舎が笠松陣屋に置かれる。
 1871年明治4年、廃藩置県により美濃国が岐阜県となると、岐阜県庁舎として使用される。この際も魂生大明神はそのまま祀られていた。
  その後、笠松陣屋の建物を笠松学校(現笠松町立笠松小学校)に使用することとなり、教育上相応しくないという理由で、魂生大明神の祠は取り壊され、御神体は地中に埋められてしまう。しかし、この御神体を埋めた人物は程なく病死してしまう。このことから、御神体の祟りという噂が流れたという。

 明治5年頃、この噂を聞いた東京長崎の電信付設工事を行っていた工夫と伝えられている)が、「そんなの迷信だ」と、その御神体を地中から掘り出し、赤色の染料をかけてしまう。すると、工夫は病に伏せてしまう。「祟りに違いない」と考え、御神体についた赤い染料を取り除こうとしたが取れなかったという。そこで石工染料の部分を削り取ってもらうが、程なくして工夫と石工は病死したという。 これらの出来事から霊験あらたかなとの噂が花柳界に広まり、やがて全国に広まったという

08年7月紹介



 13 へそ塚 (魂生大明神境内) 笠松町八幡町奈良堤上


 

生命の源、愛情の源としてへその緒を預かり、子どもの成長と健康を祈願する碑で、木曽川河畔奈良津堤の魂生大明神境内にあります。

  昔、笠松陣屋脇に魂生様があった頃その境内の一隅に「へそ塚」と呼ばれた小さなお堂がありましが、陣屋の移転の際、いつの間にか消えてしまっていたのを観光開発の一環として再建されました。

08年6月紹介



 14 白鬚神社 (蓮台寺磁石)  笠松町田代


 昭和32年(1957年)土地改良工事を行っていた時、長池東流地区で土中から礎石や瓦などが出てきました。

 礎石には、二重の穴があいていて、その大きさから塔の高さは30メートル近くあったのではないかと推測されています。
 このお寺は、出土した場所から東流廃寺と呼ばれ、いくつかの建物や門などがあったと思われます。
 
半分ずつ別れてみつかった礎石は、西宮町の東別院と田代の白鬚神社に残されています。

08年5月紹介



 15 クロガネモチの木    笠松町門間1882 神明神社内


 クロガネモチは、関東地方から西の地方、沖縄、台湾などに分布する常緑の高木です。雌と雄の木がありますが、ここにあるクロガネモチは雌の木です。 花は、5月頃に咲き薄い紫色をしています。

 木の皮から「とりもち」と作るので、モチノキといい、枝や葉が黒いのでクロガネといいます。

 高さ16メートル、目通り234センチ、樹齢は170年以上と思われます。

08年4月紹介



 16 北門間の地像様    笠松町北門間地内



 天明元年(1781年)9月に作られた北門間の地蔵様は昔から「はだか地蔵」と呼ばれていた。
 
天明時代、自然の災害や病魔・暴動等で苦しんだ農民の心を救うのは祈りであり、この地蔵様の果たした役割は多大なものがあった。

 時代が安定してからは、村の辻に安置され、村内の安全を願ってまつられており、平成2年に笠松町指定文化財(有形民俗)となっています。

08年3月紹介




 17  梵 鐘    笠松町無動寺225光得寺

 岐阜県重要文化財(工芸品)


 この大鐘は、文明7年(1475年)各務原市手力押す神社の鐘として作られたが、大永5年(1525年)に春日井市高田寺へ、天正14年(1586年9名古屋市大須の万松寺へ移り、ここから手離されたものを、明治9年(1876年)に、当時の安養山光得寺松原恵空住職が入手しました。

この、梵鐘は、鐘形よく整い、その音色も優れ、諸行無常の響きありと言われ、室町風の代表的なものとして昭和40年6月、岐阜県重要文化財(工芸品)に指定されました。
 梵鐘の高さは、97.5cm、口径58cm、重さ約225kgです。

08年2月紹介



 18 米野の戦い  笠松町米野640

 
関ヶ原合戦の前哨戦(慶長5年)1,600年
 
石田三成は関東から東軍(徳川家康)の先鋒の軍勢が尾張の清洲に迫ったことを知って、近江の佐和山城を出て、8月11日城主、伊藤彦兵衛に大垣城を明け渡させ、これを拠点に濃尾方面の防備をすすめました。
 まず、岐阜城へ1,700余人、犬山城、竹ケ鼻城へ鉄砲隊など総勢9千余人を送り防備を固めました。

木曽川渡河
 東軍は清洲で軍議を開き、8月21日木曽川の渡河を決定。
 上流は河田島(笠松の対岸あたり)から池田輝正軍9千余人
 下流は尾西市の起(竹鼻の対岸あたり)から福島正則軍9千余人の総計1万8千人で一気に渡河する事にしました。

歴史に名を残す戦い

 特に笠松の米野に布陣した百々綱家(とどつないえ)は勇猛でならした武将で水際で一斉射撃を加え大群の池田勢を何度も撃退しましたが数に勝る東軍に押され、岐南町印食(いんじき)の閻魔堂に陣を張っていた岐阜城の総大将「織田秀信」の元へ敗走し、その後立て直しのため、ともども岐阜城へ引き上げました。
 このときの激戦は関ヶ原合戦以上にすざましい戦いだったと言われています。

08年 1月紹介



 1 美濃郡代笠松陣屋・笠松県庁跡

 関ヶ原の戦い後、美濃は譜代・外様大名と旗本の所領、それに幕府直轄に細かく分割され、美濃と尾張の国境に当たる笠松には、交通軍事の要所として、美濃郡代(代官)の陣屋が置かれました。
 この笠松陣屋は、寛文2年(1662年)に、幕領を守り、美濃の治水政策を司るために設置されたものです。
 
廃藩置県により、慶応4年(1868年)4月に笠松県が誕生し、およそ200年続いた笠松陣屋は笠松県庁と名前を変えました。

 明治4年(1871年)岐阜県が誕生したことに伴い、明治6年(1873年)に県庁が岐阜市へ移るまでは、笠松は岐阜県の中心地だったのです。

07年12月紹介

四   季

四季の里  笠松港公園 


 笠松港公園内の四季の里広場は、パターゴルフ場として幼児から老人に至るまで、気軽に利用できます。

 敷地は、約8,000平方メートルで、人工芝を張り巡らした本格的な18ホールのパターゴルフ場・多目的広場・芝広場などがあります。木曽川を眺めながらのプレーには格別のものがあり、若いカップルや家族連れなどが多数訪れます。

 また、笠松港公園では週末になると釣り客でにぎわいます。

09年1月紹介



秋   木曽川トンボ天国と河跡湖

  無動寺地内の木曽川河川敷は、昔は船着場でしたが、今では古い川筋が残って池になった全国でも数少ない河跡湖として、地形的にも珍しいところです。

 付近の5つの池を含めてトンボが多数生息していることから「トンボ天国」と呼ばれ、現在までに「イトトンボ」,「モノサシトンボ」など43種類ものトンボが確認されています。

 このトンボ池の他に古池、中池、まこも池があり、一帯は「トンボ天国自然公園」として整備されています。

 環境省の「ふるさと生きものの里」や「岐阜県の名水百選」「ぎふ・ふるさとの水辺」にも選ばれました。町民憩いの場、自然とトンボの研究、観察の場として親しまれています。

08年11月紹介



秋   リバーサイドカーニバル
 


 毎年10月第3週の日曜日に行われる、木曽川の自然空間を生かした住民参加型の「町造りイベント」です。

 郷土芸能などのステージイベントを中心に、

川の自然に触れる「川舟遊覧」や「Eポート体験」、
動物と触れ合う「ふれあい動物園」 「乗馬体験」、
各種の地元特産品を販売する「陣屋市」、
大鍋を使った名物料理の「船頭なべ」 など盛りたくさんのイベントが行われます。

08年10月紹介



夏   笠 松 太 鼓

 

8月15日万灯流し・花火の開始前にリバーサイドバーにて演奏されます。

 力強い太鼓の響きは日本の伝統と芸術をどのように表現しているのか・・・

 近代文化の侵入が目立つ今、残さねばならない古来の和楽器です。

08年9月紹介



夏   円城寺芭蕉踊り

 

笠松は、木曽川沿いにありながら昔は用水設備がなかったため、いったん干ばつになると雨乞いをするしかありませんでした。
 円城寺に伝わる「雨乞い踊り」は、今から約700年前の弘長2年から始められたと言われています。

 芭蕉踊りと呼ばれるのは、踊り手が背負う旗指物が芭蕉の葉に似ていることからと言われており、願をかける「賭け踊り」とお礼の「ひねり踊り」が演じられます。
 この踊りは毎年8月22日に秋葉神社へ奉納されます。
 
 平成11年11月岐阜県重要無形民俗文化財に指定されました。

08年8月紹介



夏   笠松川まつり


 

夜空に無数の大輪を咲かせる時、木曽川の流れにも無数の炎が灯ります。
 
 毎年8月15日、木曽川河畔を舞台に全町挙げて盛大に行われます。
 
 花火と万等流し、ステージイベントなど様々な催しが夏の夜空と木曽川全体に広がります。その光の芸術が訪れた人の感動を誘います。



08年7月紹介



 春   大名行列お奴


 笠松春まつりの奉芸に大名行列お奴があります。掛け声と共に毛槍や鳥毛を投げ渡しながら行列は、全国にも例のない珍しいものです。

 祭りの起こりは、江戸時代、美濃国の幕府直轄領を支配する役所「美濃郡代(代官)笠松役所」が置かれ、明治維新まで24代の代官・郡代が着任し、地方(じかた)支配にあたり、なかでも文久元年の和宮降嫁に際して岩田郡代より動員を受けた笠松の町集は郷足軽として長柄持役・奴として毛槍役などに従ったといいます。

 明治維新後、司町・港町の町民は岩田郡代の遺徳を偲び、郡代の格式に合わせて諸道具を取り揃え大名行列を模して神社へ奉納してきました。

 近年、笠松大名行列お奴保存会が結成されて、優雅にして活気ある行列の保存継承に努めています。
 また、行列の「奴の毛槍振り(踊り)」の部分が平成7年11月岐阜県重要無形民俗文化財に指定されました。

08年4月紹介



 春   笠松春祭り


 桜の花が咲き始める頃、笠松春祭りが開催されます。奈良津堤では「桜まつり」が行われ、桜並木のライトアップにより夜桜の美しさを引き立てます。

「笠松陣屋市」では江戸時代の市場の賑わいを再現。
 最終日の「まつりパレード」では大名行列お奴や町内神輿などが次々と繰り出され、それぞれ八幡神社、産霊神社へ奉納され、その融資は多くの人を魅了します。

 また、産霊神社では「宵まつり」が行われます。

08年4月紹介



11 春  奈良津堤の桜


 木曽川河畔奈良津堤にはソメイヨシノ桜を中心にかつて千本桜と呼ばれていた桜並木が続き、毎年多くの花見客でにぎわいます。

 昭和45年、笠松町が観光目的に植樹しました。

 今は、当時ほどの数はありませんが、それでもその本数と交通の便の良さから、県内でも有数の名所に上げられます。

08年3月紹介

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